「かもしれない」をつけてみる
車の運転は
「だろう運転」ではなく
「かもしれない運転」が大切です。
子供が飛び出してくる かもしれない。
前の車が急ブレーキを踏む かもしれない。
「かもしれない」を頭の片隅に置いとくことで
冷静な広い視野を保てるから。
ちなみに僕は子供の頃
いつか空から飛行石を首にかけた
三つ編みの少女が落ちてくる
かもしれないと
上空に視野を広げていました。
福井の整体院
『からだ整え処 癒庵』院長の近間です。
今も昔も世の中には
興味のない者からすれば
「んなわけないやん」と思う広告が
バンバン流れています。
例えば
「毎日たった◯◯だけでスリムボディに!」
的なダイエット系商品。
これは興味のない人
つまり、全然悩んでない人からすれば
「そんな都合いいモノあるわけない」
「元々スリムなモデルを使ってるだけ」
「ならとっくに世の中全員スリムになってる」
という感じで
めちゃくちゃ冷静にみえたりします。
「んなわけないやん」て。
でも、本気で悩んでいる人からすれば
つい信じてみたくなるほど魅力的なものに写ってて
面白いのは
そんなダイエット商品に
「んなわけないやん」て思う人が
もし「薄毛」で本気で悩んでいたら
「毎日たった◯◯だけでフサフサに!」
的な増毛系商品は
つい信じてみたくなるほど
魅力的なものに写るし
ダイエット系商品や増毛系商品に
「んなわけないやん」て思う人が
もし「ヒザの痛み」で本気で悩んでいたら
「毎日たった◯◯だけで痛みにサヨナラ!」
的な健康商品が
つい信じてみたくなるほど
魅力的なものに写ってる。
悩んでいないことに関してはすごく冷静に
「んなわけないやん」て思えるけど
今まさに悩んでいることになると
冷静さを押しのけて
見え方が変わってしまうようです。
それくらい悩みをピンポイントでついた
「たった〇〇だけで〜」系の広告って
必殺の破壊力があるわけですが
実際のところって
100人中、〜数10%の成功例を
宣伝文句にしてたりするんです。
(せめてそれくらいはあると信じたい)
となるとそれはもう
〜数10%の成功率に
自分が入れるかどうかのギャンブル。
てことになってくるわけです。
でも悩んでる時って
そこがボヤけて見えなくなってるから
「それさえあれば自分は変われるはず」
てくらい思いがち。
そこで、とりあえず一回
後ろに「かもしれない」を
付けてみるのはどうでしょうか。
毎日たったこれだけの◯◯で痩せる!
・・かもしれない
毎日たったこれだけの◯◯でフサフサに!
・・かもしれない
毎日たったこれだけの◯◯で治る!
・・かもしれない
ちょっとニュアンス変わりますよね。
ちょっとだけ冷静に見れる。
少なくとも
〜数10%の成功率という輪郭が
ほんのりでもイメージできる。
決して
「騙されるから信じたらダメ」
てことを言ってるわけじゃありません。
宣伝する側はあくまでも商売で
お金をかけて宣伝してるわけですから
そういうものですし
お金の使い道なんて
あくまで本人の自由ですし。
ただ、本当に変わりたいならば
「たった〇〇だけで〜」という
「魔法のような楽さ」に賭けてしまう前に
最低限のやれることは
まだあったりするんです。
そうして一旦保留しておいて
今自分でできることをできる範囲で
ちょっとずつでも頑張って続けてみて
その上で
あくまでも「+α」として賭けてみるなら
単なる
「成功率◯%のギャンブルに賭ける」でなく
「努力」「 + a」という
また違った形になるんじゃないかなと思います。
結果「+α」の部分がダメだったとしても
「努力」の部分は
良い習慣として残りますしね。