どちらかというと理論先行型で
理論として納得できないと
内容が頭に入ってこないという
我ながら
なかなか容量の悪い人間のようです。
思えば、子供の頃から
それは発揮されていて
社会の授業で「江戸幕府が〜」とか
サラッと言われても
「幕府」って何。
「幕」って何。
「府」って何。
その言葉(漢字)を使う意味がわからないと
頭が拒否して、もう入ってこない。
マズハ ソノ単語ヲ
インストール シテクダサイ 泣
福井の整体院
『からだ整え処 癒庵』院長の近間です。
こんな面倒な気質なもんですから
癒庵で説明している「体の構造学」や
行なっている「整体技法」は
1から100まで
全て説明することはないですが
自分の中で
「理論として納得できているもの」
となっております。
自分が納得できていないことなんて
人はもっと納得できないから。
ただ
自分が技術を身につけてきた経験上
また、技術を教えてきた経験上
「技術の習得」に関して言えば
理論への固執は、感覚を遠ざける
ということがあったりします。
例えば初めて自転車に乗る際
ハンドルを握り、ペダルを踏めば
タイヤが回って前へ進む。
これくらいなら
基本的な理論として必要ですが
極力姿勢はまっすぐにして
重心を崩さず安定させる。
ペダルは左右対角線上の動きとなるため
右を踏み込めば左が上がる。
左を踏み込めば右が上がる。
左右に傾かないようハンドルを両手で握り
常にバランスをとり続けるべし。
みたいに
難しく理論立てて考えてしまうと
逆にもう乗れないですよね。
思考にばかり意識が集中し
肝心の自転車に接している手や足、
自分の姿勢やバランスからは
どうしても意識が抜け落ちてしまう。
もしそんなことブツブツ確認しながら
乗ろうとしていたら
自転車に乗れる全国民が
「それはやめとけ」と言うでしょう。
とりあえず乗って、コケてコケて
感覚で乗り方を覚えていく。
そうやって乗れるようになって
さらに興味があるのであれば
そこに細かな理論をつけて解明して
より理解を深めていく。
整体技術でも同じことが言えます。
あまりにも筋肉や骨、ツボなど
医学的な理論に囚われすぎてしまうと
一番大切な相手を感じるということが
できなくなってしまいます。
理論も何もない
ただ形だけ繕った技法ではダメですが
感覚を疎かにした理論づくめでは
ただの頭デッカチになりかねません。
「理論」と「感覚」
良いバランスで高めていきたいし
良いバランスで伝えていきたいですね。