ぶろぐ

ご予約はこちら

困った時の神頼み

 

一年に数回
猛烈な腹痛に襲われる時があります。

 

で、そんな時はトイレで苦しみながら
「神様~」ってなるんです。

 

「ごめんなさい」
「もう悪いことはしません」
「もう暴飲暴食しません」

 

みたいな笑

 

風邪ひいてどんなに高熱が出ても
そんなことはないし

 

我が家は確か浄土真宗なんですが
なぜか「仏様~」は出てきません。

 

以前、友人にそんな話をしたら
「わかるわかる」と共感を頂きました。

 

どうやらこの情けない神頼みは
僕1人じゃなかったようです。

 

福井の整体院
「からだ整え処 癒庵」院長の近間です。

 

以前、神棚を設置した理由として
1日の始めと終わりに

 

神棚に手を合わせて感謝を伝える
「自分を律するルーティーン」を作りたかったから。

 

と書いているんですが
過去記事「始めと終わりのルーティーン」

 

もう1つ
大きな理由がありました。

 

それは
困った時だけ「神頼み」をするのは
なんか都合良すぎな気がするから。

 

腹痛なんかは自業自得なんで
勝手に自分が苦しめばいいだけですが

 

もっと深刻な時。

 

例えばこの先、事故や病気等で
家族の命が危ない時があったとしたら

 

きっと
必死に「神頼み」をすると思うんです。

 

神様どうか・・
どうか守ってくださいと。

 

これがもし普段
手も合わせることなく

 

そんな困った時だけ
「神頼み」したとしたら

 

神様は
「ん~」てなると思うんです。

 

「それはちょっと調子良くない?」って。

 

少なくとも自分が神様だったら
「ん~」てなります。たぶん。

 

アナタ普段、神様の「か」の字も
思ってくれてないよねって。

 

毎日手を合わせてれば
いざという時は叶えてくれるはず。

 

という信心深い意味ではなくて
単になんとなくの

 

道理的にそれは違うかなっていう
自分の中での違和感です。

 

体と同じですね。

 

普段、全く体に気を使わない。
悪い姿勢でも気にしない。

 

運動もしない。
ストレッチもしない。

 

そうやって溜めに溜めて
ドンと不調が出てから「なんとかしたい」は

 

ちょっと無理があるでしょう。

 

そんな都合のいい
無理難題を叶えてくれるのは

 

青くて耳のない「ネコ型ロボット」
くらいでしょうか。

 

今、その体に一手間を
かけてあげるか、あげないか。

 

結局はそれの積み重ね。

 

そんな普遍の理(ことわり)を
普段、仕事で実感しているからこそ

 

無意識に「神頼み」に対する考え方にまで
影響が出たのかもしれません。

 

ひとつ断言できるのは

 

体への一手間の積み重ねは
「神頼み」よりも確実に

 

頑張った分だけ
ちゃんと結果につながるということ。

 

これからも引き続き
朝晩の「手合わせ」と「体のケア」

 

続けていきたいと思います。

 

 

関連記事
・始めと終わりのルーティーン
・今その体に一手間をかけてあげるか、あげないか。

 

 

ページトップへ